今年で4回目の挑戦となるカヤック遠征。
1ヶ月という期間を不在にし、一度の遠征だけでも高額な遠征費が必要となる。
また年々リスクが高い海への挑戦になってきてかなりの覚悟が必要である。
貴重な時間と金と命をかけてやるからには明確な目的や意義をもって挑みたい。
ここで再度遠征について自分なりに言語化して書き記そうと思う。
①シーカヤックの可能性
時速6キロで海の上を歩くように進むカヤック。
徒歩の平均速度は時速4キロといわれており、カヤックは早歩きをイメージしてもらえると良い。
実際漕ぐスピードは時速7.5キロは出ているのだが、休憩を入れると平均はどうしても時速6キロ代まで落ちてしまう。
では、この時速6キロで進むカヤックってどれほどの性能があるのだろう。
向かい風になればもちろん減速するし、海流や潮流に捕まれば流されて帰れなくなる。
ヨットやアウトリガーカヌーに比べても非常に弱い乗り物である。
ただし荷物を大量に積めるという利点もある。
長期で生活道具と食料を運んで旅をするにはこれほど素晴らしい船は他にない。
果たして今の自分がカヤックを漕げばどこまで遠くへ行けて、どれどけ難しい海を渡れるのだろうか?
最弱の乗り物であるカヤックだが最大限の力を引き出し、カヤックという乗り物の可能性をこの手で広げてみたいと思う。
カヤックがあれば世界中どんな海も旅できると自分は信じている。
そしてより多くの人にカヤック旅を目指してもらいたい。
②出会いと学び
過去の遠征では絶景と言われる海岸線もたくさん漕いだ。
しかしそのほとんどは「綺麗だね」の一言で終わってしまう。
結局現在の我々の遠征スタイルには景観の美しさはそれほど重要ではない。
実際、前回は世界遺産であるコモド国立公園を縦断したが、残念なことにそれほど強い印象はなかった。
では遠征で何が1番記憶に残るのか?
それは間違いなく人との「出会い」である。
困った時に手を差し伸べてくれた人、親切に飯と寝床を用意してくれた人、人との出会いこそが旅の充実感を与えてくれた。
またカヤックというタイムマシンに乗ることで、昔ながらの暮らしを続ける人々との出会いもある。
自然と共存して暮らす先人達の叡智を学ぶ素晴らしい機会であり、決しては観光では見れない世界を見せてもらえるのだ。
自然と人を繋ぐ乗り物であるカヤックは実は人と人とを繋ぐ乗り物でもあり、カヤックで旅をするからこその出会いも多く存在する。
これからも自然と共に暮らす人々との出会いを大切に、彼らの暮らしを学ばせていただき、我々日本人の暮らしを再度見つめ直すきっかけを作る旅を続けたい。
③冒険心
平凡な家庭に育ち、平凡に生きてきた人生。
人を楽しませられるようなエピソードも自分の人生には何もない。
ただ唯一の取り柄は小さい頃から地図が好きだったこと。
免許をとって自分で地図を見てどこへでも行けるようになったが、道路が通っている世界は限られていた。
ある日沖縄の伝統船サバニで海を渡る光景をニュースで見かけた。
道路を移動することしか知らない自分には、道がない海を人力で渡れることに大きな衝撃を受けた。
果たして海を渡った水平線の先には何があるのだろうか?
その答えを自分の目で確かめるためにパドルを握り、これまで様々な水平線をこの手で漕いでこの目で見てきた。
海抜0mのカヤックから見える水平線はせいぜい数キロ程度であるが、水平線の先には漕いだ者にしか見えない素晴らしい景色が広がっていた。
そしてまだまだ見たい水平線は世界中たくさんある。
自分は臆病で小心者で1人では何もできないが、運良く頼もしい仲間に出会えて背中を押してもらい今こうしてスタートラインに立てている。
溢れんばかりの情熱と冒険心を持ってこれからも水平線を目指し、我々にしかできない旅を表現していこうと思う。
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競い合うことが苦手な自分は、海と出会い競い合って生きなくても良いことを知れた。
自然と競い合っても最後は死しか待っていない。
競うのではなく対峙することが自然の中では大切であることを学べたことは1番大きい。
自分のモノサシとその日の海を照らし合わせて、海に出るかを判断する。
モノサシで測りきれない海であれば出なければ良いだけ。
対自然では自分なりのモノサシを持つことが重要となる。
遠征は準備段階から既に始まっている。
というか準備で死ぬか生きるかほぼ決まる。
遠征先の海を具体的にイメージし、しっかり測れるモノサシを準備して本番に挑むのみ。
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